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2012年12月日语考试N1真题阅读

互联网2016-11-25 14:50

  問題8 次の(1)~(4)の文章を読んで、後の問いに対する答えとして最もよいものを、1、2、3、4から一つ選びなさい。

  ファッションなど、流行は模倣を前提にしている。真似られなければ、ファッションなど成立しない。ミニスカートをデザインしたとしても、特定のデザイナーのものだけが売れるのでは、流行にはならない。多くの者が模倣してはじめて流行は成立するため、ファッションなどには、模倣を誘発させようとする意図が最初から織り込みずみだ。

  (浜野保樹『模倣される日本――映画、アニメから料理、ファッションまで』による)

  46.流行について、筆者はどのように考えているか

  1) 多くの者に購買意欲を誘発させるものである。

  2) 多くの者に真似られることなしには始まらない。

  3) 特定のデザイナーによる誘発が欠かせない。

  4) 特定のデザイナーのものが真似られなければならない。

  以下は、ある会社で回覧された文書である。


2012年12月日语考试N1真题阅读


  47.業務のために携帯電話を使用している人はどうしなければならないか

  1) 貸与申請書を7月10日までに、7月31日までの通話料金請求書類を8月1日までに総務部に提出する。

  2) 貸与申請書を7月10日までに、7月31日までの通話料金請求書類を8月31日までに総務部に提出する。

  3) 貸与申請書を7月17日までに、7月31日までの通話料金請求書類を8月1日までに総務部に提出する。

  4) 貸与申請書と7月31日までの通話料金請求書類を、8月31日までに総務部に提出する。

  情報化、グローバル化と言われ、視野を広げるべき時代に、実は極めて限られた世界、社会でしか情報や価値観を得られていない人が増えているように思えます。インターネットは世界中どこにでもつながりますが、自

  分で意識しないと、限られた価値観の情報だけが集まり、さらに深く入り込む。世界観を広げるインターネットが、逆に世界観や価値観を狭めてしまう、視野狭窄(注)に陥らせる道具となってしまうのです。

  (伊藤真『会社コンプライアンス――内部統制の条件』による)

  (注) 視野狭窄(きょうさく):見える範囲が狭くなること

  48.

  この文章で、筆者はインターネットをどのようにとらえているか。

  1) 広い視野を失わずに使用すれば、より深い情報を得ることができる。

  2) 限られた情報や、個人の興味のあるものを得るには便利な道具である。

  3) 便利なものだが、使い方に気をつけないと限られた世界で生きることになる。

  4) 意識して使用しなければ、自分の価値観に合った情報が得られないことになる。


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  (注1) 押しやる:押してどける

  (注2) 自己チュー:自己中心のこと。自分のことしか考えないこと

  49.

  筆者の考えを最もよく表しているのはどれか。

  1) 誰もが社会の中心から遠く離れた存在だ。

  2) 誰もが他人の存在を認めることが大切だ。

  3) 一人一人が生きる意味を持っている大切な存在だ。

  4) 一人一人が自分の生きる世界を見つけることが大切だ

  問題9 次の(1)~(3)の文章を読んで、後の問いに対する答えとして最もよいものを、1、2、3、4から一つ選びなさい。

  私は、「どうしたらわかりやすく伝えられるか」ということを常に考えています。

  その一方で、「話を単純化しすぎてはいけない」ということも胆に銘じ(注1)ています。

  この兼ね合いが、結構難しいのです。扱うテーマに関して勉強を積み重ね、知識が増えるほど、難しくなります。

  生半可(注2)にしか知らないときのほうが、簡単にざっくり(注3)単純化できたりします。でも、そのために結果として、全体像が見えずに歪んだ像を示したり、事実とニュアンスが違ってきてしまったりすることにもつながります。これはとても①怖いことです。

  それを防ぐには、どうしたらいいか。(中略)

  まず、調べたいことを勉強して、誰かに話してみます。簡単に話ができたら、要注意。学部生レベルである可能性が高いからです。そこで満足せずに、さらに深い勉強をしてみましょう。すると、あら不思議。急に話が難しくなります。これが大学院生レベルです。いわば②「わかりやすい説明」に至るスランプのようなものです。

  そこで挫折せず、さらに勉強を深め、「この話のキモ(注4)は何なのか」を考え抜きましょう。すると、ある日突然、自分でも驚くほど、わかりやすい説明ができていることに気づくはずです。あなたは、その分野で、晴れて「指導教授」の立場まで成長したのです。学部生レベルの人の説明の間違いを訂正してあげることもできるようになったことでしょう。

  最初の単純化で満足せず、さらに高みを目指すとスランプに陥る。そこを突破すると、「わかりやすい説明」が可能になる。このプロセスが、キモなのです。

  (池上彰『<わかりやすさ>の勉強法』による)

  (注1) 胆(きも)に銘(めい)じる:決して忘れないようにする

  (注2) 生半可:中途半端

  (注3) ざっくり:大まかに、粗く

  (注4) キモ:最も大事なところ

  50.

  ①怖いこととは何か

  1) 不十分な知識で話を単純化したため、内容が正確でなくなること

  2) 話があいまいになり、情報を断片的にしか伝えられなくなること

  3) 事実に関する知識が不十分なせいで、話が単純化しづらいこと

  4) 扱うテーマに関して知識が増えるほど、説明が難しくなること

  51.

  ②「わかりやすい説明」に至るスランプとあるが、どのような状態か。

  1) 知識が増えたにもかかわらず、深みのある説明ができない状態

  2) 知識が増えたために、かえってわかりやすい説明ができない状態

  3) 簡単なことにもかかわらず、どう説明すればいいかわからない状態

  4) 話を簡単にしすぎるために、かえって説明を理解してもらえない状態

  52.

  筆者は、スランプを突破するにはどうすればいいと述べているか

  1) 簡単にあきらめずに、なぜスランプになったかをよく考える。

  2) あきらめずに知識をさらに深め、本質は何かを徹底的に考える。

  3) 単純化できた話を振り返り、わかりやすい説明とは何かを考え抜く。

  4) 十分に知識を深めたうえで、単純化するにはどうすればいいか考える。

  児童文学の多くは、子どもの視点で書かれています。もちろん作者は大人なのですが、子どもの考え方や、子どもの目の高さから見える風景を描いています。当然のことながら大人が読む場合、そこにどうしても①視点のズレが生じます。

  けれど大人はみな、昔、子どもでした。子どもを卒業して大人になったと思っているのが、子どもだった自分を抱えたまま大人になったと思っているのかは人それぞれでしょうが、少なくとも、だれもが子ども時代を過ごしてきています。大人の視点で読みながら、子どもの頃の視点を思い出すことは可能です。自分の中の子どもに寄り添って、一緒に読むとでも言えばいいでしょうか。

  子ども時代に読んだ本を再読すると、同じ場面なのに、子どもの頃の自分と今の自分とでは、感じ方や受け取り方がちがうのに気づくことがあります。それは今の自分が、自分の心の中にいる子どもと向かいあう一瞬です。そうした機会に、今の子どもたちへのまなざしを新たにすることもあるでしょう。たとえば、「近頃(ちかごろ)の子どもにはこまったものだ」と文句を言っていたけれど、子どもの頃の自分はどうだったのか?と問い直す。大人であることにあぐらをかいていた(注)自分を省みる。そんなことが起こるかもしれません。

  ②どうぞ、「子どもの本」を開いてみてください。

  (ひこ•田中『大人のための児童文学講座』による)

  (注) あぐらをかいていた:ここでは、何の疑問も感じずにいた

  53.

  ①視点のズレが生じますとあるが、なぜそうなるのか。

  1) 大人は子どもの世界がよく理解できないから

  2) 大人は子どもの視点に合わせて読もうとするから

  3) 大人の見てきた風景と子どもの見ている風景はちがうから

  4) 大人の視点から子どもの視点で書かれたものを読むから

  54.

  筆者によると、視点のズレを解消するためにできることは何か。

  1) 大人の視点で今の子どもたちの気持ちを考えて読む。

  2) 大人の自分と子ども時代の自分を比べながら読む。

  3) 子ども時代の自分の視点を思い出しながら読む。

  4) 子どもに読んでやるような気持ちで読む。

  55.

  ②どうぞ、「子どもの本」を開いてみてくださいとあるが、筆者はなぜそのように述べていると考えられるか。

  1) 今の子どもの考え方を知ることで、大人である自分を省みることもあるから

  2) 心の中にいる子どもの頃ころの自分に気づくことで、これまでの見方が変わることもあるから

  3) 児童文学をよく理解することで、近頃ちかごろの子どもの問題点を発見できるかもしれないから

  4) 子ども時代の本を再読することで、これまでの自分のことがよく分かるかもしれないから

  ファースト•フードが世界中にひろがったのは、文化や人間の集合状態に変化が起こっていたからである。家族はこれまでほど安定したものではなくなったし、私的な生活、労働や遊びのパターンも個人的かつ多様になっていたのである。人間の接触が煩わしいものに感じる傾向も増大した。食事がもつ楽しみは感覚と社交の至上の快楽ではなくなった。それは他の行為のあいまに挿入されるものとなることが多かったし、それと平行して人間は食事を簡便に済ませることを望んだことも考慮すべきであろう。

  (中略)

  もちろん都市の食文化にとってファースト•フードが占める位置は、コンビニが買い物行動にたいして占める位置と同様、全面的ではない。しかし多種多様なレストランがいたるところに叢生(そうせい)(注1)してくるなかに、ひとつの均質化する力として割り込み、かつローカルな都市を世界的な規模にまでひろがった同一の網目に組み込むことは、無視できない力の兆候的現象なのである。

  おそらくこうしたファースト•フードの経験は、意識されていることがら以上に、ほとんど意識されない感覚的な影響の方が大きいだろう。かつての食の内容からみると、貧困としかいいようのないメニューに慣れること、あえて社会的関係を破壊しようとしないでも、人びとはファースト•フードの利用によって、いつのまにか都市の遊民(注2)になっていくこと、そしてこの食形式の共有によってわれわれは奇妙なかたちで、われわれ自身をいつのまにか世界化していること、などである。

  (多木浩二『都市の政治学』による)

  (注1)叢生(そうせい)する:ここでは、多くできる

  (注2)遊民:ここでは、社会的関係をもたない人

  56.

  筆者によると、ファースト•フードがひろまった理由は何か

  1) 人びとが人間関係や食べることに無関心になったこと

  2) 新しい食のスタイルが人びとの好みに合ったこと

  3) 人とのつながりや生活スタイルが変化したこと

  4) 食にたいする人びとの嗜好こうが似てきたこと

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