2015年12月日语N1真题及其答案
新东方在线2016-11-23 11:45
51、②絶対に勝負を謙めてはいけないとあるが、なぜか。
1 .後で作品の価値が認められることがあるから。
2 .よい作品は必ず評価されるものだから。
3 .どんな勝負にも得るものがあるから。
4 .勝負に慣れて緊張しなくなるから。
52、筆者によると、勝負を続ける上で気を付けるべき点は何か。
1.勝負以外のことは考えてはいけない。
2 .勝ち負けにこだわってはいけない。
3 .いつも勝とうと思ってはいけない。
4 .負ける自分を想像してはいけない。
(2)
環境が高速化しても、私たちの神経的な伝達速度や知覚認知の処理時間は変化しないことから、人間が一時にできる認知的課題の数もそれほど変わらないことが推察される。このことは、様々な情報が手に入り、やりたいこと、したいこと、そして実際にできる可能性が高まったとしても、①実際にできる事柄の数がそれほど増えるわけではないことを示唆している。
もちろん、技術革新によって、一つの事柄をやり遂げるまでに要する時間は大いに短縮された。筆者自身、パーソナルコンピュータを使って論文などを書くようになって、論文一本あたりにかける時間と労力はずいぶん減尐したと思う。特に、原稿を清書したり作図したり、という手作業の段階に要する時間はかなり減った。
しかし、そうはいっても、論文を書く際に論理展開をまとめるのに要する時間はそれほど短縮されるわけではない。考えるためには、どうしてもそれなりの時間が必要だ。(中略)
人間が一つのことをやり遂げるにはどうしても一定の時間がかかる。その時間が技術革新や経験、学習によって、増えた欲望を満たすのに必要な時間以上に短縮されないとしたらどうするだろうか。当然、潜在的な可能性に基づいて肥大する欲望のうち、実際に満たされるものは一部のみということになる。この場合、やりたいと、やれるはずのことは数多くあるのに、なかなかそれが実現できない②ジレンマが生じる。 そうなると、むしろ、できる事柄が尐なかったころよりも時間が足りず、忙しく、やりたいことができないという感覚が強くなっているかもしれない。
(一川誠『大人の時間はなぜ短いのか』による)
53、①実際にできる事柄の数がそれほど増えるわけではないのはなぜか。
1 .人間は高速化した環境では考える時間があまりないから。
2 .人間が物事を認知できる速度はあまり変化しないから。
3 .人間の認知的な能力を超えた課題が増えているから。
4 .人間に与えられた時間は限られているから。
54、技術革新によって、一つの事柄の完成に要する時間はどうなったか。
1 .質の高さが求められるようになったため、完成までの時間は変わらない。
2 .考える時間は短縮されないため、完成までの時間は変わらない。
3 .様々な情報が入手しやすくなり、完成までの時間も短縮された。
4 .手作業の時間が短縮された分、完成までの時間も短縮された。
55、②ジレンマが生じるとあるが、なぜか。
1. 人間の欲望が増えすぎて、できることとできないことが見極められないから。
2 .人間の欲望は増えたが、欲望を満たすのは必要な時間は短くならないから。
3 .技術革新で作業効率が上がったが、しなければならないことも増えているから。
4.技術革新の速度が速すぎて、追いつくのが難しくなっているから。
(3)
類人猿(注1)の四足歩行と人間の二足歩行を比べると、時速四kmくらいの速度で歩くと、二足歩行のほうがエネルギー効率がいい。しかも長く歩けば歩くほどエネルギーの節約率が高くなる。すなわち、初期の人類は長い距離をゆっくりした速度で歩く必要性に迫られて、直立二足歩行を採用したと考えられるのだ。これは初期の人類が徐々に熱帯雤林を出ようとしていたこととぴったり符合する(注2)。熱帯雤林の外では果実が散在していて、広い範囲を探し回る必要がある。これを可能にする歩行様式として、二足で歩くことが有利になった可能性がある。
しかし、長距離を歩くことになると群れの全員がまとまって移動するのは困難になる。子供や身重(注3)の女性、老人など速い速度で長距離を歩くことが難しい仲間がいる。そのため、体力のある男たちが尐数のグループを組み、広く歩き回って食物を集め、それを女や子供たちのもとへ持ち帰って一緒に食べたのではないかと思われるのだ。これが食物共有仮説である。だが、サバンナへ出たサルたちは二足にならなかった。なぜ人間だけがなかったのか。それは、サバンナ(注4)へ出たパタスザルやアヌビスヒヒ、マントヒヒたちはオスがメスより格段に大きくなり、長い犬歯を発達させて群れの防御をするようになったからである。しかも胃腸の強い彼らは人類ほど広い範囲を歩き回って食物を探す必要はなかった。一方、人類の祖先は男が大きくなるところか、性差が小さく、犬歯(注5)も縮小して武器としては使えなくなっている。これは人類の男たちが捕食動物と戦うよりも、その目を避けながら食物を探し歩いていたことを物語っている。
(朝倉敏夫編『火と食』による)
(注1)類人猿:生物学上、最も人に近いサル類。
(注2)符合する:合う。
(注3)身重:妊娠中。
(注4)サバンナ:熱帯地方に見られる草原。
(注5)犬歯:ここでは、特に鋭い歯。
56、筆者によると、人類が二足歩行を採用したのはなぜか。
1. 広い範囲を長く歩き続けられるから。
2. 広い範囲を時間をかけずに移動できるから。
3 .遠くまで見渡しながら歩けるから。
4 .必要に応じて速度を変えながら歩けるから。
57、群れの行動は、二足歩行によってどのように変化したと考えられるか。
1. 移動が困難な者がグループを組み、ゆっくり食物を探し歩くようになった。
2 .移動が困難な者を体力のある者が助けながら、共に食物を探しようになった。
3 .体力のある者のグループができ、その中で食物を共有するようになった。
4. 体力のある者のグレープができ、移動が困難な者に食物を分け与えるようになった。
58、人類の祖先について、筆者の考えに合うのはどれか。
1 .男たちが身体をより大きく見せて群れを防御していた。
2 .男たちが捕食動物との遭遇を避けながら食物を探し回っていた。
3 .男たちが捕食動物からできるだけ遠くへ逃げて身を守っていた。
4 .男たちが武器を持って群れを防御しながら食物を探し回っていた。
問題 10 次の文章を読んで、後の問いに対する答えとして最もよいものを、1・2・3・4 から一つ選びなさい。
以下は、歴史学者について、歴史小説家との比較を中心に書かれた文章である。
歴史学では、史実の究明にはもちろんのこと、新しい歴史像を提示する時にも史料(注1)的根拠が必要です。そして、この史料的根拠を基盤とするがゆえに、歴史学者の歴史観は、相互に批判可能なものです。これは、物理や化学といった自然科学の世界で新理論を展開する場合に、その論拠、論理を他の学者にも検証可能な形で提示しなければならないことと同様です。
しかし、小説にこうした論証を求めるのは無理というものです。最近は小説家に歴史研究者同様の姿勢を求める向きもあるようですが、これは筋違いとしか思えません。やはり、歴史研究と歴史小説は、そもそも目的も手段も違うものなもだとしか言いようがないのです。
また、あるいは、次のような話が参考になるでしょうか。
ある時、理学部の天文学(注2)の先生に、「どうして彗星や小惑星などの新天体を発見する人には、アマチュアの天文家が多いのですか」と聞いたことがありました。新聞でも報じられるような天体現象の発見に、意外と専門研究者が少ないことが気になっていたからです。
すると、天文学の先生は、「天文学の先端では、彗星などの発見よりは、大きな電波望遠鏡を使って、ある一定の方向から地球に届く宇宙からの電波情報を継続的に受け取り、その数値の分析によって宇宙の大きさを推測したり、宇宙の成り立ちを究明したりしているのです」と教えてくれました。 (中略)
歴史学者と歴史小説家の違いも、これに近いものがあります。歴史小説家を歴史のアマチュアとするつもりはありませんが、同じく歴史を扱いながらも、その立ち位置は違うものだと言えるでしょう。
歴史小説では、誰もがよく知っている人物や事件をとりあげて小説にすることが多いようですが、歴史研究ではむしろ誰も知らないような人物や事件を入り口として史実を究明することがほとんどです。また、政争に誰がいかにして勝ったかというような政治のダイナミックな人間の動きよりは、制度的な政治システムの変遷を追究する方が研究手法としては主流です。そのため、歴史学者が世間一般の歴史ファンを驚かせるような新説を立てる、というようなことは、稀なこととなるのです。
もちろん、天文学者であれば研究機関に属していようが星に無関心でないのと同様に、歴史研究者もメジャーな歴史トピックに関心がないわけではありません。しかし、一見地味な事例研究を積み重ねることによって、それまでの通説を修正する新しい視点が見いだされていくことを、研究者は知っているのです。つまり、一足飛びに(注3)通説を覆そうとして、特定の視点から史料を読むような真似(注4)は禁物なのです。
(山本博文『歴史をつかむ技法』による)
(注1)史料:歴史を研究するための文献や遺物。
(注2)天文学:宇宙と天体について研究する学問。
(注3)一足飛びに:ここでは、手順を無視して一気に。
(注4)真似:ここでは、行動。
59、筆者によると、歴史学と自然科学の共通点は何か。
1 .研究の価値は新説を示すことで認められること。
2 .新説の展開には、学者同士の相互批判が欠かせないこと。
3 .新説の根拠を検証可能な形で示すのは容易ではないこと。
4 .他の学者が検証できるように、新説の根拠を示す必要があること。
60、天体現象の発見に専門研究者が少ないのは、なぜか。
1. 専門研究者は、新天体の発見には価値がないと考えているから。
2 .専門研究者は、新天体の発見より宇宙そのものの探究を目的としているから。
3 .専門研究者は、アマチュアの天文家との役割分担を意識しているから。
4 .専門研究者は、アマチュアの天文家の発見を集約して宇宙全体を研究しているから。
61、歴史小説家について、筆者はどのように述べているか。
1 .制度的政治システムを題材としている。
2 .誰も知らない史実を面白く物語にしている。
3 .有名な人物や出来事などを題材としている。
4 .歴史学者が気付かないような視点で書いている。
62、歴史学者について、筆者はどのように述べているか。
1 .通説を覆すために、新しい史実を発見しようとしている。
2 .通説に惑わされず、特定の視点から歴史をとらえようとしている。
3 .個々の事例研究を踏まえて、史実を明らかにしようとしている。
4 .知られていない史実をとりあげ、人々の歴史認識を改めようとしている。
問題 11 次の A と B の文章を読んで、後の問いに対する答えとして最もよいものを、1・2・3・4 から一つ選びなさい。
A現在の若者世代は、「車離れ」などの言葉に象徴されるように消費に対して消極的な世代だととらえられることが多い。高級車やブラント品などかつて若者が憧れたものに見向きもしない若者が増加しているという。要因の一つとしては、収入が尐なく未来に希望が持てないために節約志向の若者が増えていることがあると言われているが、生まれたときから多くのものに囲まれて育ったおかげで、ものそのものに対する欲求が低いことも挙げられよう。
とはいえ、そのような若者たちも全く消費をしないわけではない。彼らは、単なるものだけではなく、人とのつながりや体験を共有するためにお金を使うのだ。
B若者の消費実態を俯瞰(注1)すると、今の若者は、デフレや流通環境の進化による消費社会の成熟化、情報通信をはじめとする技術進化の恩恵を受けて、バブル期(注2)の若者よりもお金をかけずに多様な商品・サービスを楽しめる環境にある。安価で高品質な商品・サービスがあふれ、娯楽も多様化していることで、選択できる対象も増えている。こういった変化によって、今の若者では消費に対するモノサシが変わり、「クルマ」や「高級ブランド品」といったバブル期の若者の欲していたものへの興味関心が相対的に薄れているのだろう。
つまり、「若者はお金を使わない」わけでなく、お金を使わなくて済むようになり、価値観の変化により欲するものが変わってきている。
(久我尚子『若者は本当にお金がないのか?――統計データが語る意外な真実』による)
(注1)俯瞰する:ここでは、全体を見る。
(注2)バブル期:1980年代後半から1990年代初頭の、日本の景気が非常によかった時期。
63、現在の若者の商品傾向について、AとBはどのように述べているか。
1 .AもBも、消費の対象が変化していると述べている。
2 .AもBも、ものそのものに対する興味関心が低くなったと述べている。
3 .Aはものを買わなくなったと述べ、Bは品質にこだわらなくなったと述べている。
4 .Aは消費の対象がものではなくなったと述べ、Bは自身のために消費するようになったと述べている。
64、若者の消費傾向の変化の要因について、AとBが共通して指摘している点は何か。 1.若者の購買力が下がったこと。
2.若者が節約を好むようになったこと。
3.若者がものに恵まれた環境にあること。
4.若者にとって魅力的なものが尐ないこと。
問題 12 次の文章を読んで、後の問いに対する答えとして最もよいものを、1・2・3・4 から一つ選びなさい。
山の風景画は、世の中にいくらでもある。日本画にしろ洋画にしろ、古今東西あまたの(注1)画家たちが、その題材に「山」を選んでいる。モチーフとしての山の意味するものはさまざまだろうが、個人的にはそれらに興味を惹かれることはなかった。
なぜか。
一般的な登山者が山を眺めたときの感慨は、おおむね似かよっている。それは、雄大さ、峻厳さ(注2)、あるいは優しさといったステレオタイプな観点から山を賛美し、その風景を自分の心の展示箱に納めて「いい思い出」にしてしまう。そして、山岳画や山岳写真の作家たちの多くもまた、似たようなイメージを印画紙やカンバスなどに再現して、狭い市場の中で再生産している例が尐なくない。
だが、山に登る者の心に刻印(注3)される山の風景は本来限定的なものではなく、確定しえない動的な現象として記憶されてもよいのではないだろうか。見る者の心の中定着される山のイメージは、そしてその表現は、もっと多様であるべきだろう。
つねに転変を繰り返す「海」に対して、動かざるものの象徴として、「山」が引き合いに出されることもある。はたしてほんとうに山は動かないのか。(中略)
一登山者としてこう思う。山は動いている、と。それは、地殻(注4)変動や火山の噴火など大規模なものだけではない。遠目には同じように見えても、風に吹かれて砂塵は舞い、山腹を覆う植物たちは陽光を浴びて茂し、渓流はその谷の深さを日々深く削り、刻一刻と変化し続けている。そういった微細な物理的変貌、小さい生命たちの死滅と再生が瞬時も止まることのない現場が、「山」なのである。
都市風景は近代以降多様な都市論の対象となってきたが、本来、多様性に富んでいるはずの山という場所を表現するイメージが、なぜこれほどまでに単一的なのか。
それは、山というつねに転変する自然から、都市部の生活者の生活が乖離してしまったことに、原因を求めることができるかもしれない。山の変化に気づくほど山を観測していないから、その変化にも気づかない。
何十年も山で暮らしてきたような画家でさえも、その表現は先述した域を出ることは稀だ。思うに、そういった者は都市生活者とは反対に、表現への憧れが先に立ち、山の実相(注5)を表現しえていないのかもしれない。
(志水哲也編『山と私の対話』による)
あまたの:数多く刻の。
峻厳さ:厳しさ。
刻印する:ここでは、刻む。
地殻:地球の表層部。
(注5)実相:本当の姿。
65、個人的にはそれらに興味を惹かれることはなかったとあるが、なぜか。
1 .型にはまった見方で描かれた山の絵が多いから。
2 .一般的な登山者の視点で描かれた山の絵ではないから。
3 .思い出として残すために描かれた山の絵しかないから。
4 .自分の心の中にある風景と似たような山の絵ばかりだから。
66、筆者は山をどのようにとらえているか。
1. 山の変化は小さくても、心に残る感動は大きい。
2. 山は同じように見えても、それぞれの個性がある。
3 . 山は一見変わらないようでも、変化しつづけている。
4. 同じ山に登っても、山から受ける印象は毎回異なる。
67、都市生活者と、何十年も山で暮らしてきたような画家について、筆者はどのように述べているか。
1 .いずれも山への憧れが強い。
2. いずれも山への興味が失われている。
3 .いずれも山の見方が変化してきている。
4 .いずれも山のイメージが固定化している。
68、山の風景画について、筆者はどのように考えているか。
1 .山の姿を描くためには、その山の特徴を強調すべきだ。
2 .山を多様に描くためには、画家は個性を発揮すべきだ。
3 .山への思いは皆違うのだから、その表現も自由であるべきだ。
4 .山の姿は単一ではないのだから、その表現も多様であるべきだ。
問題 13 右のページは、ある博物館のホームページにある“友の会”入会案内である。下の問いに対する答えとして最もよいものを、1・2・3・4 から一つ選びなさい。
69、東あさひ市立博物館“友の会”の会員になると受けることのできるサービルはどれか。
1. 常設展をいつでも割引料金で見学できる。
2. 開催されるすべての特別展にそれぞれ一度だけ無料で入れる。
3. ショップで売られている本や雑誌を10%安く買える。
4. 半年間、毎月無料で博物館発行の情報誌を送ってもらえる。
70、ノンさんは、家の近所にある東あさひ市立博物館の“友の会”の会員である。明後日21日に始まる特別展を見に行く予定だが、明日20日で会員期間が終了することに気がついた。21日に会員サービスが利用でき、年会費がより安く済む方法はどれか。
1. 20日までに窓口に行って、継続入会の申し込みをする。
2. 20日までに郵送で、継続入会の申し込みをする。
3. 21日に窓口に行って、継続入会の申し込みをする。
4. 21日に窓口に
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