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传说中的艺妓:佳乃的祇园人生

沪江2015-06-12 10:49

  ネオンの灯がいっせいに瞬きだした夕暮れどきの東京・銀座。その一角、飲食店が軒を連ねるビルの5階に、ひときわ華やかなその店はあった。小さく「会員制」と書かれた扉を開けると、「おいでやす~」という京ことばに迎えられる。

  霓虹灯一起亮起的夕阳下的东京银座。其中一角矗立着一座餐饮大楼,在它的五楼,有一间特别豪华的店。这家店的门扉上写有小小的“会员制”的字样,推开这扇门,就会有“欢迎光临~”充满京都气息的问候迎接。

  

传说中的艺妓:佳乃的祇园人生


  艶やかな和服姿、柔らかな物腰で現れたのは京都・祇園で長らく人気の芸妓として活躍した、佳つ乃さんだった。ここは彼女が昨年秋にオープンしたクラブ。その名も「佳つ乃」。席数は18ほどの、こぢんまりとした店内。祇園出身のママの店らしく、壁には上品な日本画が飾られている。

  穿着华丽和服的身姿,举手投足之间流露出温柔的气质,她就是在京都・祇园有着经久不衰的人气,以艺妓的身份无比活跃的佳乃。银座的这间店是她在去年秋天新开的俱乐部。店的名字也叫“佳乃”。在整洁舒适的店中共设席数18个。店内有一种祇园妈妈桑的气质,墙面用上品的日本画进行了装饰。

  舞妓、芸妓として、祇園でも一、二の人気を博し、テレビのワイドショーやスポーツ紙などのマスコミをにぎわせた。それは本誌も例外ではない。

  她作为舞妓、艺妓,在祇园也有着数一数二的人气。在电视的综艺节目、体育报纸等媒体上也有着很高的出镜率。本杂志也不例外。

  「『女性自身』?大嫌いどした(苦笑)。『女性自身』だけやおまへんけど。週刊誌は嫌いどす。もう、ろくなこと書かはらしませんでしょ」(佳つ乃さん・以下同)

  “《女性自身》?最讨厌了(苦笑)。不过不仅仅是《女性自身》,周刊杂志都很讨厌。因为都没写什么像样的事情吧。”(佳乃说・下同)

  最近も似たようなことがあった。彼女が京都から銀座に移ったことについて、芸妓を円満に引退して、上京したにもかかわらず、一部の雑誌やネットには「祇園を追放された」と書かれたのだ。

  最近也发生了类似的事情。在报道她从京都转移到银座的事情时,不提她圆满引退,并且成功上京的情况,一部分杂志还有网上媒体都在传她是被祇园流放了。”

  「もうね、笑うしかおへんのどす(笑)。でも……あんまり好き勝手に書かれるのもいやどすしね。それで……」

  “已经只能一笑而过了(笑)。但是,还是不太喜欢过于随意的报道及渲染。”

  

传说中的艺妓:佳乃的祇园人生


  佳つ乃さんは、かつて嫌っていた本誌に、自らの半生と、これからについて語り始めた。

  佳乃小姐开始向之前不喜欢的本杂志,亲自诉说起自己的半生故事。

  「舞妓はんになったらどうや?」といったのは、実家の近所にあった法衣店の主人だ。少女は、中学卒業を間近に控え、進路を決めあぐねていた。京都市北部で生まれ育った少女には、祇園に関する知識も興味もなかった。一方、法衣店の主人は花街、祇園の常連。なじみの女将から「どっかにかわいい子、いはらへんやろか?」と常々聞かれていた。

  最早问佳乃“想不想当舞妓?”的是老家附近的一个“法衣”店的主人。少女正处于快中学毕业,要决定未来出路的时候。在京都市北边成长的少女,对于祇园相关的知识也完全没有兴趣。另一方面,“法衣”店的主人常年流连于花街和祇园,还常常被熟识的女老板问道,“你知道哪里有可爱的女孩子吗?”

  「べっぴんやし、ぴったりや。話、聞くだけでも一回、行ってみいひんか?」と連れていかれたのは「小田本」という看板を掲げた古い町家。そこは「置屋」と呼ばれる場所だった。和室に通され、慣れない正座をして待つこと数分。現れた着物姿の老女将は、少女の顔をのぞき込むようにして、「辛抱してみはったらどうえ、楽しいえ」と聞いた。

  “长的这么美貌,做舞妓正合适。光是听我说也不行,至少去亲眼看看吧?”于是佳乃就被带到了一个挂有“小田本”看板的古老的小酒家,其中的一个名为“置屋”的地方。被安置在一个和室中,以不习惯的正坐坐姿等待了数分钟。穿着和服的老板娘出现了,悄悄打量了一下少女的面庞,问道,“试着忍受一下这份工作怎么样?很开心的哦。”

  いったい何を辛抱するのかもわからなかった。しかし、老女将の「1カ月だけでも、やっておみよし?」という言葉に、軽い気持ちでうなずいた。こうして少女は祇園の住人になった。祇園に入った少女たちは「仕込み」と呼ばれ、「屋形」や「家」と呼ぶ置屋に住み込む。そして、それぞれの置屋の女将から、行儀作法や祇園言葉を徹底的に仕込まれる。

  那时还不知道这份工作需要忍耐些什么。但是,在老板娘问“就一个月,不来试一试吗?”的时候,还是以轻快的心情答应了。就这样少女变成了祇园的一员。进祇园的少女被称为“仕込み(实习生),住在被称为‘屋形’、‘家’的置屋里。然后,每个置屋的女主人对新人从礼仪作法到祇园的语言进行彻底的指导。”

  「なんでウチは逃げへんかったんかなって考えるとね、やっぱり自分に負けるのが嫌いやったんどすね。仕込みのウチが道の隅っこ歩いているのに、舞妓さんは堂々と真ん中歩いて来はる。すれ違うたびに『こんにちは』って、頭下げて。ウチもきれいな舞妓さんになって後輩に挨拶してもらえる人になりたい、そう思いました」

  “虽然我也有想过逃避,不过,果然我是一个不服输的人。虽然在训练中我们都只在角落里面走走步,但是舞妓要堂堂正正在最中间走步。和人擦肩而过的时候,要说‘こんにちは(您好)’。我想成为那种即使已经成为美丽的舞妓,还会对后辈们郑重打招呼的人,当时是这么想的。”

  約1年の「仕込み」、さらに1カ月ほどの「見習い」を経て、少女は舞妓になる。ここで初めて芸名もつく。それまで「小田本さんの仕込みさん」と呼ばれていた少女も、晴れて舞妓・佳つ乃になった。16歳だった。佳つ乃さんが芸妓になったころ、日本はちょうどバブル景気に沸いていた。祇園も例に漏れず、毎晩がお祭りのようだった。

  约一年的训练之后,还要经过近一个月的“见习”,少女才能成为舞妓。在这时才会开始取艺名。在此之前被叫做“小田本家的实习小姐”的少女,终于熬出头,成为了舞妓・佳乃。当时佳乃16岁。佳乃在成为艺妓的时候,日本刚好处于泡沫经济时期。祇园也毫不例外,每天晚上歌舞升平,像是祭典一般热闹。

  「忙しおした~。ある晩、お座敷の予約がビッシリどしたけど、なじみのお客さんが『顔だけ出して』と言わはるから、お座敷とお座敷の合間の15分だけ、そちらの宴会に寄らせていただいて、ちょこっとお酌して回ったんどす。そしたら『これご祝儀』と封筒渡されて。『おおきに』言うていただいたんどすけど、中を見たら50万円も入っていて。本当に驚きました。まだ21~22歳どしたしね」

  “那时候真忙啊~有一天晚上,坐席接连不断地被预约,被熟悉的客人说道,‘你就是露个脸也好啊。’于是在每个坐席之间,就只陪伴15分钟,就要前往下一个宴会,稍微斟个酒就要移步到别处。然后,就收到了一封写有‘贺礼’的信件。虽然我说了‘谢谢’,但是一看里面竟然装着50万。真的非常震惊。那个时候才21、22岁。”

  芸妓としてはまだ半人前の舞妓時代から、芸能マスコミに登場した佳つ乃さんは、先輩のイケズの、格好の標的だった。舞の稽古の開始時間をわざと間違えて教えられるのは序の口で、料理を運んでいるさなか、裾を踏まれることも日常茶飯事。町でいきなり「あんた見てたら幸せそうで腹立つのや!」と顔をしばかれたこともあったという。

  从作为艺妓一瓶子不满半瓶子晃荡的舞妓时代,到能在艺人、媒体上登场的佳乃,将前辈Ikezu作为目标。不仅是在开始练习舞蹈的时候故意弄错要求前辈来指导,在运送料理的时候,踩到裙边也是常有的事情。还有过在町下突然皱起面庞说道,“看到你就会有一种幸福的感觉,真是令人火大啊!”的逸闻。

  そんな佳つ乃さんが祇園を出て東京に来た本当の目的は、昼の仕事を始めるためだった。

  这样的佳乃离开祇园来到东京真正的目的是:想要从事白天的工作。

  「これからは自分に合ったお昼の仕事を立ち上げていこうと思っています。でも、それをするにも、まずは生活していかないとだめどすし。中学出てずっとこの世界で生きてきて、私にすぐできることって、祇園町で教わってきたことを生かして、夜のお仕事しか思いつきませんどした。でも、長くても5年までって決めてます。そしたら、そのときが私の祇園町からの卒業なのかもしれません」

  “我想从现在开始从事适合自己的白天的工作。但是,就算想这样做,首先必须要在这里活下去才行。我从中学毕业就一直待在艺妓的世界,现在能做的,就只有将祇园的艺能教授给学生,以此过活,只能从事这夜里的生意。但是,我决心最长在5年内结束这份工作,这样的话,那个时候我可能就从祇园毕业了也说不定。”

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(编辑:杨帆)

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