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关东关西的“关”何在

沪江2015-06-22 15:30

  

关东关西的“关”何在


  日本には色々な地域があります。

  日本有着形形色色的地区。

  東北、信州、中国、四国、それに今日のテーマである、関東、関西。

  比如东北、信州、中国、四国,以及今天的主题——关东、关西。

  東と西という違いだけなんだろうけど、この「関」は一体何を表しているのだろうか。

  字面上应该是指东西差异,但是这个“关”又是表示什么呢?

  私の考えでは、まだ徒歩が主な交通手段だった時代に通行手形を要する「関所」ってのがあったという事実から、箱根から東を関東、西を関西でどうでしょうという憶測を巡らしたわけですが、この考え方では中部地方を説明できないわけです。

  我臆测这可能是在尚以徒步为主要交通方式的时代,有着需要通行证的“关卡”这一事实,所以把箱根关以东叫关东,以西叫关西吧。不过这一想法无法解释中部地区。

  それに関西がどこからなのも正直分かりません。今日はその辺のところ調べてみましょう。

  而且从什么地方开始是关西也真说不清楚。今天就来调查这一课题吧。

  関東 関西の由来

  关东、关西的由来

  やはり関所がポイントのようです。

  重点还是在关卡上。

  「関西」と「関東」の境の関には幾つかの説があるようで、それは時代によって境目の概念が徐々に変わってきたからのようです。

  “关西”与“关东”交界的关卡有几种说法,似乎是随着时代变迁交界的概念逐渐有了变化。

  昔からあった区分けとしては、滋賀県(近江)の逢坂の関。(西に権力があった時代)鎌倉時代以後は少し変わります。鈴鹿、不破、愛発の3つの関で分けられました。

  古来即有的分界是滋贺县(近江)的逢坂关。(西边掌握权力的时代)镰仓时代以后逐渐变化。分为了铃鹿、不破、爱发三关。

  愛発関(福井県。滋賀との県境近く)、不破関(岐阜県。滋賀との県境近く)、鈴鹿関(三重県。滋賀との県境近く)。

  爱发关(福井县,滋贺县县界附近)、不破关(岐阜县,滋贺县县界附近)、铃鹿关(三重县,滋贺县县界附近)。

  つまり、畿内5国と近江、伊賀、及び山陰、山陽、南海、西海が関西。(西に権力があった時代)。それより東が関西といっていたようですね。

  即是说,畿内5国与近江、伊贺、山阴、山阳、南海、西海属关西。(西边掌握权力的时代)。其东即叫关东。

  関が原のある岐阜県辺りとする説もあります。(西から東への分岐点)

  还有说法认为是在关原所在地的岐阜县附近。(从西边转移到东边的分歧点)

  1600年の天下分け目の決戦。

  この「関が原」の 戦いの勝利によって、関東圏が生まれたともいえるようです。

  その後の箱根の関で分けるという考えもあります。(東に権力が移ってからの時代)

  関東の「関」は、箱根関(神奈川県。静岡との県境近く)碓井関(群馬県。長野との県境近く)江戸時代以後は、そこを江戸の防波堤としたからでしょうね。

  こうしてみると、時代の流れにつれて「関」も西から東に移動していったと説明できますね。

  1600年决定天下的决战。

  可以说由于“关原”之战的胜利,而诞生了关东地区。

  其后也有以箱根关划分的想法。(权力转移到东部之后的时代)

  关东的“关”即是箱根关(神奈川县,静冈县县界附近)碓井关(群马县,长野县县界附近)

  可能因为江户时代以后以其作为江户的防波堤吧。

  这样看来,也能说是随着时代变迁,“关”也从西部移动到了东部吧。

  では真ん中は?

  これとよく似た表現に西日本と東日本という言い方もあります。

  一般的には日本列島の中央に名古屋(愛知県)を置いてそれより西を西日本、東を東日本と言うことが多いようです。そして愛知県周辺が「中部地方」となります。

  那正中央呢?

  与此很相似的表达还有西日本和东日本的说法。

  通常以日本列岛中央的名古屋(爱知县)为中心,以西叫西日本,以东叫东日本。而爱知县周边叫“中部地方”。

  ちょっとしたうんちく

  一点底蕴

  本拠地が名古屋の野球の「中日ドラゴンズ」はこの「中部日本」からきています。

  ついでに関東の人々(私も)へ、名古屋は関西ではありませんので悪しからず。

  皆さん怒っておられます。

  ということで中部地方の疑問も解けました。

  以名古屋为根据地的棒球队“中日DRAGONS”即来源于这个“中部日本”。

  顺便告诉关东人(包括我),名古屋不是关西抱歉了。

  大家很生气呢。

  这样中部地方的疑问也解开了。

  つまりは・・

  也就是说……

  関東 関西の「関」はやはり関所のことであり、それも時代の変化と共にその範囲が移っていった。

  关东、关西的“关”指的果然是关卡,随着时代变迁其范围也在变动。

  というか元々「関東」はなかったであろうと考えられます。

  関というのは守るべき権力の為に設けられるのですからね。

  ただ日本を大きく見ると更に東日本、西日本という言葉が生まれ、

  真ん中が生まれました。中部地方です。

  其实原本是没有“关东”的。

  因为关卡是为保护权力而设。

  不过,大范围内看日本更产生了东日本、西日本的说法,也产生了正中地区的中部地方说法。

  元々はっきりとした区切りのなかった真ん中に突如飛び込んできたのです。

  東だ西だと言っていたら「俺たちは国の真ん中に住んでいる」と宣言されてしまったようです。

  这是在原本没有划分的正中央突然冒出来的地方。

  听着别人说东边啊西边啊什么的就出来宣布“我们是住在国家正中的”。

  一番得をしたのは東と西が行き来する真ん中の名古屋なのかもしれませんが、今度はこの「名古屋」が気になりだしました。

  可能最得利的是位于东西交通中心的名古屋吧,这次我又对“名古屋”感兴趣了。

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(编辑:杨帆)

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