枪械之父 与世长辞
沪江2015-09-24 10:15
枪械之父 与世长辞
自らが創案、開発したものに自分の名がつく。ふつうは晴れがましいが、そうとばかりは限らない。たとえば18世紀フランスの医師、ギヨタン博士。「苦痛の少ない処刑装置」を提唱したところ、できあがった断頭台はその名をとってギロチンと称された。博士は生涯悲嘆したそうだ
给自己创意并开发的东西冠以自己的名字,一般认为这非常光彩荣耀。但是也并不见得都是如此。例如,18世纪的法国医生吉约坦博士(Joseph-Ignace Guillotin)。他主张设立“痛苦较小的处刑装置”,于是,基于此而建立的断头台便取其名为“Guillotine”。据说,博士为此悲叹终生。
時代も事情も異なるが、古い史話にロシアの銃器設計者ミハイル・カラシニコフ氏の名が重なる。その名のついた自動小銃は紛争やテロのたびに登場してくる。世界に推計1億丁出回っているとされ、悪名の高さは際だつ
尽管时代与情况完全不同,不过从这一古老历史故事上还是折射出了一个人的名字,这就是俄罗斯的枪支设计者米哈依·卡拉希尼科夫。冠以他的名字的自动步枪经常在纷争及恐怖事件中出现。据推算全世界制造了1亿支,恶名之高登峰造极。
「史上最も多く人を殺した武器」とも呼ばれる。あなたの銃が世界で惨事を引き起こしている――。かつて取材した本紙記者に、氏は「悲しいことだ」と答えていた。その人の、94歳での訃報(ふほう)を聞いた
它被称为“史上杀人最多的武器”,你发明的枪支在世界范围内引起了悲剧的发生。他曾经回答采访的本报记者说,“这是件令人悲哀的事”。日前我们听到了其人以94高龄辞世的讣告。
字の読めない兵士にも使いこなせる銃、というのが設計哲学だった。その簡便さゆえに途上国へ流れ込んだ。〈手軽とふカラシニコフがあるゆゑにあああるゆゑに子どもの兵士〉池田はるみ。ニッポンの短歌にもその名は残る
据说,不识字的战士也能够掌握的枪支是他的设计哲学。正因为这种简便而流入到了发展中国家。池田优虂米女士创作的日本和歌里就留下了他的名字,〈轻便步枪人人夸,卡氏先生发明家,因为有他才有枪,孩童当兵打天下〉
もっとも本人は、この銃で儲けることはなく、設計者としての誇りも揺るがなかったようだ。銃は私の意思とは無関係に独り歩きしている、と
不过,其本人并未因为这种枪支而发财,作为设计者的这份自豪感也不曾有过动摇。他认为:枪支走的是枪支自身的发展道路,与我的意愿无关。
農家に生まれ、戦争がなかったら農業用トラクターの設計図を引いていただろうと語っていた。人々が戦いをやめて平和な仕事に就くことを「剣を鋤に打ち直す」という。穀物満載で走るカラシニコフのトラクター。銃よりも、そちらの方がよほど良かった。
他还说,自己出生在农民家庭,如果没有发生战争的话,可能正摊开着农用拖拉机设计图纸进行着设计。人们将停止战争从事和平事业比喻为“化剑为犁”。一辆满载着谷物的卡拉希尼科夫拖拉机,这要比枪支好得多。
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(编辑:杨帆)
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