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祭悼先人 另想新法

沪江2015-09-27 20:00

 新东方小语种课程

  祭悼先人 另想新法

  きのう、雲ひとつない関東平野の青空を見上げ、ふと有名な詩句が頭に浮かんだ。西脇順三郎の「天気」である。〈(覆された宝石)のやうな朝/何人か戸口にて誰かとさゝやく/それは神の生誕の日。〉

  昨天,当我抬头仰望关东平原那万里无云蔚蓝色天空时,不经意间一首有名的诗句在我脑海里浮现。〈清晨的蓝天宛若打翻一地的蓝宝石/几个不知姓名的人在倚在家门口喃喃自语/这是神的诞生日。〉

  古朴かつ硬質なイメージが広がる。「ギリシア的抒情詩」の中の一編だから、この神は古代のかの地の神ということか。ひとくちに神といっても地域により大きく違う。では日本の神とはいかなるものか。今さらながら確かめたくなった

  它传递给我们一种古朴且坚硬的印象。这是一首“希腊式抒情诗”中的一段,所以诗中吟诵的神有可能是当地的真神。即便都是神,但地狱之间也存在着很大的差异。那么,日本的神又是什么呢?时到今日反而更使我想搞清楚这个问题。

  国語学者の大野晋(すすむ)が残した研究をひもとく。われらの神は唯一の存在ではない。ご存じ八百万千万(やおよろずちよろず)の神だ。もとは姿の見えない「隠身(かくりみ)」であったと大野説はいう。木や岩など憑代(よりしろ)となる場所に人間が酒食を供えて祈ると、そこに降臨する

  翻开国语学家大野晋遗留下来的研究成果发现,我们的神并非独一无二的存在。众所周知有八百万千万之神一说。根据大野晋的说法,原本他们是“隐身”的,真身并非能看见。当人们在树木及岩石等可供寄聚的地方供奉上酒菜时,他们就降临了。

  無数の神が日本中の山や坂、道、川、海などの場所に宿る。人々は神を畏怖した。恐ろしい威力、超人的な力をもつと考えられたからだ。神意に背けば死を招く。だから雷やオオカミも神とされた

  无数的真神寄宿于日本各地的群山、高岗、道路、河川以及大海等场所,因为人们畏惧真神,认为他们具有可怕的威力及超人的能力。违背神意将招来杀身之祸。所以雷电及狼也被视作神。

  古代の信仰は実に飾り気がない。司馬遼太郎も書いている。〈古神道というのは、真水のようにすっきりとして平明である。教義などはなく、ただその一角を清らかにしておけば、すでにそこに神が在(おわ)す〉

  古代的信仰是不在意修饰的。司马辽太郎写道,〈所谓的古神道就如同清水一样,是清澈见底的,也不存在任何学养,只要将那一角保持清洁,那么神就已经在那里了〉。

  後の国家神道との落差に驚く。真水どころか多くの血が流され、戦場に散った人々が「神」とされた。死者を悼むのは当然だ。しかし、首相の靖国神社参拝は日本を世界から孤立させつつある。やはりもっと平穏で質朴な追悼の仕方を考えるしかない。

  同之后的国家神道之间所产生的落差令人震惊。清水已根本谈不上,不仅如此其中还流淌着很多鲜血,那些在战场上倒下的人们也被尊为“神”。祭悼死者理所当然,可是,首相参拜靖国神社却遭到了全世界的孤立。看来只能是再想出一种更稳妥质朴的追悼方式。

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(编辑:杨帆)

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