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2014年7月日语N1真题

互联网2016-11-23 14:55

  46、このメールで最も伝えたいことは何か。

  1. 申し込みに必要な情報が不足しているので、電話で知らせてほしい。

  2 .申し込み方法が間違っているので、改めて申し込みをしてほしい。

  3 .電話での申し込み時に相談内容を聞くので、準備しておいてほしい。

  4 .平日夜の時間帯は特に込み合うので、早めに予約してほしい。

  (2) 井上ひさし(注1)さんが、「エッセイとはすなわち、自慢話である」といったことを書いていらしたのを、以前読んだことがありますが、私はその文を一読した瞬間、「ああっ!」 と叫んで赤面(注2)したのでした。

  エッセイ=自慢、とはまさにその通り。エッセイを書く仕事をしている私は、心のどこかでそのことを感じつつ、気付かない努力をしていた気がする。しかしそのようにズバリ言われると、「私は今まで、自慢話によって、口を糊して(注3)きたのだなぁ」ということが、明確に理解できるのです。

  (酒井順子『黒いマナー』による)

  (注1) 井上ひさし:日本の小説家。

  (注2) 赤面する:顔が赤くなる。

  (注3)口を糊する:ここでは、生計を立てる。

  47、筆者が「ああっ!」と叫んだのはなぜか。

  1 .前々から抱いていた自身の思いを先に言われたから。

  2 .だれかに言いたかった自身の気持ちを見抜かれたから。

  3 .意識しないようにしていた自身の思いを指摘されたから。

  4. 言葉にできないでいた自身の気持ちをズバリ言われたから。

  (3)人間の社会的な日常生活は、無数の暗黙の約束を相互に共有することで成り立っています。暗黙というのは、そうした約束が明瞭に意識されたり、どこかにはっきり書かれているわけではないということです。習慣化し、なかば無意識的に守られている社会的な約束事の海に、共に浸かっているから、われわれはこの世界の中に安心して毎日生きていられるのであり、これから何が起きるのか、自分はどう行動したらよいのか、一々思い悩まずにいられるわけです。

  (著者代表森亘『異文化への理解』による)

  48、思い悩まずにいられるとあるが、なぜか。

  1. 習慣化された社会共通の約束事があるから。

  2 .社会的な約束事は日常生活で教えられるから。

  3 .社会でお互いの約束事が意識的に守られているから。

  4 .習慣や行動に関する約束事を共有する場が持てるから。

  (4) 白色度というのは物理的な指標であって感受性の指標ではない。したがって白色度が高いというだけでは白は印象づけられないのである。咲き乱れる花々の印象は真っ白でも、その背後にコピー用紙程度の紙を置いてみると、花そのものの白さは紙の白さほどではないことに気が付く。花弁(注1)は淡い色を含み水分をたたえた(注2)重たい白である。しかし咲き誇る花々が僕らの心に届けてくる白は鮮烈に白い。

  (注1)花弁:花びら。

  (注2)たたえる:ここでは、含む。

  49、筆者の考えを表しているのはどれか。

  1 .花そのものの白さは物理的な指標で示せない。

  2 .花そのものの白さは他の物との比較によって決まる。

  3 .花の白さの印象は白色度では説明できない。

  4 .花びらより咲き誇る花々のほうが白色度が高い。

  問題 9 次の(1)から(3)の文章を読んで、後の問いに対する答えとして最 もよいものを、1・2・3・4 から一つ選びなさい。

  (1)

  市場の製品のほとんどに何らかのマークが付いています。それに気づく人は尐数であり、その意味を知ろうとする人は更に尐数でしょう。見方によればこれは①市場の健全さの表れです。製品が満足なもので取引がスムーズなら問題は起こらないでしょう。しかし、中には使用者に損害を与えたり危険にさらしたりする製品もあるのが現実です。

  成熟した社会では、公共の利益に反する製品を市場から排除するために様々な仕組みと手段が使われていますが、製品に付けられている「適合マーク」もその一つです。これは製品が何らかの基準に適合していることの証明であり、製品の供給者から購入者及び使用者に情報を伝える手段です。適合マークは、業者間の取引における要件として、また、消費者の購入判断を助ける手段として古くから使われてきましたが、それらは主に地域社会のツールであり、意味や使い方は地域社会のルールでした。

  この事情は1980 年代に一変します。市場のグローバル化により、見知らぬマークを付けた外国製品が各国の市場に溢れたからです。(中略)

  適合マークが②本来の機能を果たすには、そのマークが多数の人々に認知され、意味が正しく理解されていることが必要です。また、マークが伝える情報の信頼性を支える適合性評価が適切に行われたことの証拠が必要です。そこで、ISO(国際標準化機構)は1996 年に適合マークに関する検討グループを設置し、問題の分析と解決策の検討を開始しました。

  (田中正躬監修・編著『氾濫するマーク—多様化する認証』による)

  50、①市場の健全さの表れとあるが、何が健全さの表れか。

  1 .製品のマークに無関心な人が多いこと。

  2 .製品のマークの意味を知らない人がいないこと。

  3 .製品のほとんどにマークが付いていること。

  4 .製品の質がマークによって保証されていること。

  51、②本来の機能とあるが、どのような機能か。

  1 .製品の不具合や問題点が解決されていることを証明する。

  2 .外国製品と自国の製品とを区別するための情報を与える。

  3 .消費者の購入意欲を高めるとともに、地域社会の経済を支える。

  4 .消費者に安心できる製品であることを伝え、公共の利益を守る。

  52、適合テーマについて、検討が必要になったきっかけは何だと筆者は述べているか。

  1. 外国製品に対する消費者の関心が高まったこと。

  2 .各国の適合性評価への信頼性が失われていったこと。

  3 .各国の適合テーマが混在して理解しにくくなったこと。

  4 .適合テーマが付いていない外国製品が流通し始めたこと。

  (2)

  以下は、ある日本企業の経営者が書いた文章である。

  現状維持でいい。そう思った途端、進歩は止まる。外の世界では、絶え間ない進化と発展が続いている。何もせずに同じところにとどまっているのは、じつは最大のリスクなのである。

  この国にもう、安全、安心、安定はない。自分は人生をどうしたいのか、会社をどう変えたいのか、この国をどうすべきか……一人ひとりが日本の置かれた現実を直視しながら、志高く毎日を真剣に生きないかぎり、未来も変わらない。

  そう言うと多くの日本人は反射的に、次のように思うかもしれない。

  (中略)

  「どうすればいいか、もっと具体的に教えてほしい」

  とりあえず「見本」のようなものがないと、何をやったらよいのか、見当がつかないのだろう。

  しかし、それぞれが置かれた状況によって、すべきことが異なるのは当然。ある人にとってはプラスのことが、別の人にとってはマイナスにつながることもあるかもしれない。

  そもそも私は、ノウハウ本なるものをまったく信用していない。そこに書いてあるのは、過去の成功法則でしかない。それをもとに時代に合致した新しい法則を考えるというのであればまだよいが、過去の成功例をそっくり踏襲して、うまくいくはずがない。

  いずれにせよ、情報が瞬時に世界を駆け巡るグローバル時代では、そうした成功法則は、あっという間に陳腐化(注1)してしまう。

  ただし、時代が変化しても普通的に通用する「考え方」というものなら、あるかもしれない。もちろんそれにしても、世の趨勢(注2)に影響されないことはない。しかし自らの視点があるかないかで、目の前の風景はまったく変わってくる。 (柳井正『現実を視よ』による)

  (注1) 陳腐化する:ここでは、古くなる。

  (注2)趨勢:動向。

  53、何もせずに同じところにとどまっているのがリスクなのは、なぜか。

  1 .安定や安心を失うから。

  2 .未来を考えられなくなるから。

  3 .社会の進歩を止めてしまうから。

  4 .周囲の進歩から取り残されるから。

  54、ノウハウ本あるものをまったく信用していないとあるが、なぜか。

  1 .過去の成功例から、新しい法則は導き出せないから。

  2 .過去の成功例から、成功した本人にしか再現できないから。

  3 .変化の速い現代においては、過去の成功例は役に立たないから。

  4 .グローバル時代においては、個人の成功例はささいなものだから。

  55、筆者によると、変化する時代を生きていくうえで必要なことは何か。

  1. 社会の動きを敏感に察知できること。

  2 .自身で主体的に世の中をとらえること。

  3 .世の中の変化を広い視野でとらえること。

  4. 他者と自身の視点の違いを見つけること。

  (3)ぼくらは、自由という言葉にある重さを感じる。自由と勝手とは似て非なるもので、自由を与えられると、その尊さ故にどう扱っていいかと緊張するのである。そのように教えられたわけではないのだが、その解釈する感性が尐なくとも備わっていたということだろう。

  日常の仕事のことでもいい、ちょっと思い返すと、①それが実感できる。

  ②自由におやり下さいと言われると、無邪気に、あるいは無責任に、これは楽だと思えるだろうか。

  自由におやり下さいの自由は、あなたの思うままお好きな世界を構築して結構ですという、全幅(注1)の信頼や神の如き好意ではないのである。

  もっとつき放している。お手並(注2)拝見という底意地の悪さもある。だから、言われた側の本心としては、自由にやらせていただけるのですかと、感動のリアクション(注3)を示しながら、実は大して期待していないな、要するにあてにされていないなと思ったりするのである。

  それもこれも、自由という言葉の持つ重さと、それを使いこなす困難さを知っているからである。だから、ぼくらは若い時、自由に書いて下さい、自由に解釈して下さい、自由に生きて下さいと言われると、捨てられたような戦慄を覚えた(注4)ものである。

  自由に善玉、制約は悪玉だと伝えられているが、制約を示された方が人は安心して生きられるところもあるのである。

  (中略)

  ぼくは、自由を理解し、自由を享受し、自由を主張するためには、無免許であってはならないと思っている。尐なくとも許されることと、許されざることの判別が可能な人だけに交付されるべきなのである。

  (阿久悠『清らかな厭世—言葉を失くした日本人へ』による)

  (注1) 全幅:最大限。

  (注2) 手並:技量。

  (注3) リアクション:反応。

  (注4)戦慄を覚える:ここでは、ひどく恐ろしいと感じる。

  56、①それが実感できるとあるが、何が実感できるのか。

  1. 自由という言葉の重さ。

  2. 自由という言葉のあいまいさ。

  3 .自由という言葉の解釈の違い。

  4 .自由という言葉の使い方の難しさ。

  57、②自由におやり下さいと言われると、どのように感じると筆者は述べているか。

  1. 失敗すると思われている。

  2 .責任を押しつけられている。

  3 .思いどおりにやらせてもらえる。

  4. あまり頼りにならないと思われている。

  58、この文章で筆者が最も言いたいことは何か。

  1 .自由を定義できなければ、自由を主張するべきではない。

  2 .自由の本当の意味がわからなければ、自由を与えられるべきではない。

  3 .自由に伴う責任を感じられなければ、自由という言葉を使うべきではない。

  4 .自由と不自由の違いがわからなければ、自由に生きることを許されるべきではない。

  問題 10 次の文章を読んで、後の問いに対する答えとして最もよいものを、1・2・3・4 から一つ選びなさい。

  アジアであれヨーロッパであれ、あるいは、三日であれ1 カ月であれ、旅から帰って成田空港(注1) に着く。(中略)私はいつもバスではなくて列車で家まで帰る。

  都心に向かう列車には、旅から帰ってきた人と、これから旅する人たちが乗っている。話している人たちがいても、不思議に静かだ。帰る人の疲れと、旅する人の緊張が混ざり合ったような、ほかの路線ではなかなか味わえない静けさである。

  列車がトンネルを出ると、私は窓の外の景色を見る。空港からしばらくは、田園風景が続く。彼方まで続く田んぼは、季節によって一面の緑だったり茶色だったり、はられた水が空を映して青かったりする。山々が、遠くに見えたり近くに迫ってきたりする。冬枯れの景色でも、緑濃い初夏でも、自然の色彩が非常にやわらかいことに毎回あらためて気づかされて、そうして、帰ってきたなあと実感する。 アジアにもヨーロッパにもそれ以外のどこにでも、ゆたかだったそうではなかったりする自然がある。田舎を旅すればむせかえるような(注2)緑のなかを歩くことになる。見慣れた田んぼとそっくりな光景を見ることもある。葉の落ちた木々が針のような枝を空に突き刺す景色に見とれることもある。緑の多い町だ、とか、水墨画(注3)みたいだ、とか、その程度の感想は抱くが、その色彩についてとくべつ何も思わない。

  帰ってきて、車窓から景色をみて思うのだ。この国の色彩は本当にやわらかい、と。木々の緑も、四季(注4)に即した山の色も、川も空も。旅先で見てきた木々や空や海といったものが、なんと強烈な色を放っていたのかとこのときになって気づく。

  窓の外に緑が尐なくなって、次第に家やビルが増えてくる。都心が近づくにつれ、どんどん建物や看板が増えてくる。さっきより「ああ、帰ってきた」がもう尐しふくらむ。都心の、空の狭い、ごたついた(注5)風景をきれいだと思ったことは一度もないけれど、でも、帰ってくると毎回近しく(注6) 思う。好きとか嫌いではなくて、私に含まれているかのような近しさを覚えるのだ。

  先だって、成田空港まで人を迎えにいった。旅のにおいをまだ濃厚に漂わせている人を到着口で迎え、いっしょに列車に乗り込んだ。旅の話を聞きながら、窓の外を眺めていて、ちょっとびっくりした。旅から帰って見る景色とぜんぜん違う。退屈な、見るべきところもない田園風景が広がっているのである。そうか、旅のあとじゃないと、ただの日常の光景なのか。都心が近づいてくる。窓の外に私が見ている光景と、旅から帰ったひとから見ている景色は、まったく違うんだろうなあと思った。 旅というのは、空港に着いたときに終わるのではなくて、周囲の景色が、わざわざ目を凝らすこともない日常に戻ったときに終わるのだと知った。

  (角田光代『トランヴェール』2012 年3 月号による)

  (注1) 成田空港:日本の国際空港。

  (注2) むせかえるような:ここでは、圧倒されるような。

  (注3) 水墨画:墨を使って、白黒の濃淡で描かれた絵。

  (注4) 四季に即する:ここでは、四季によって変わる。

  (注5) ごたつく:ごちゃごちゃする。

  (注6)近しい:ここでは、心理的に近い。

  59、帰ってきたなあと実感するのは、どんなときか。

  1 .都心に向かう列車のなかで静けさを感じたとき。

  2 .日本の自然の色合いをあらためて意識したとき。

  3 .日本には緑が多いことにあらためて気づいたとき。

  4 .四季の変化が感じられるような色に気づいたとき。

  60、外国を旅しているときの、筆者の自然に対する反応はどのようなものか。

  1. 色彩の多様さに驚くことはあるが、とくべつよいとは感じない。

  2 .色彩が強烈だと思うことはあるが、見とれることはあまりない。

  3 .景色にひかれることはあるが、色彩にとくべつな印象は持たない。

  4 .懐かしい景色だと思うことはあるが、色彩がやわらかいとは思わない。

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