大野智《FREESTYLE》作品集专访⑵
沪江2015-06-07 19:36
2015年夏,“岚”队长大野智将暌违7年再开个展,同时首度以艺术家的身份进军海外,携其2008年之前创作的多件佳作亮相上海,举办“FREESTYLE in Shanghai 2015 乐在其中”作品展。值此之际,不妨让我们顺带来翻阅大野2008年首次办展时发行的《FREESTYLE》作品集,感受一下他的创作轨迹和心情吧!
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SATOSHI OHNO INTERVIEW:自分、そして「好き」という可能性を信じて
大野智专访:相信自己以及“喜欢”的可能性
摘自:SATOSHI OHNO《FREESTYLE》作品集(2008年2月发行)
采访者:米川里代
上一篇(回顾传送门>>)中,大野智在专访中讲述了他开始画画的起点,以及创作方向逐渐向“立体化”发展。接下来,他又将向我们介绍什么呢?一起来看看!
PART 2
——フィギュアはどういう経緯ではじまったの?
——人像模型是在怎样的情况下开始做的?
大野:粘土でやってたんだけど、粘土って日にち経つとヒビ割れとかしちゃうんだ。で、もっと丈夫なの出来ないのかな?と思って、石膏に入ったの。でも石膏もまた、落としたら割れちゃうでしよう?それがイヤで、もっと頑丈なのを作りたかったの。それで、その頑丈な型があれば同じものが何個も出来る。で、いろんな色塗って……それがバァ~ッ!とあったら面白いなっていうところからはじまって。それで、石膏に入ったんだけど、石膏の型って……乾燥したらもうダメなんだ。型作った時に、速攻で流し込めば、2回か3回は出来るけど、それがギリで。何かないか?って……そこからは、もう悲惨な失敗の連続がはじまったわけ(笑)。
大野:虽然用粘土做过,但粘土历经几天后就会龟裂。然后,我就想着能不能做得更结实些?于是就引用了石膏。但是石膏也是一掉到地上就会碎掉不是吗?那样也让我觉得很讨厌,我就想做出更加坚固的作品。于是,我就想说如果有坚固的模子的话,无论多少个都能做得出来,然后能够涂上各种颜色……那样的作品“啪~!”地一溜儿放出来就会很有趣,我就是从这个地方开始进行人像模型的创作。在此,虽然引用了石膏,但是石膏的模子……一干燥的话就没法做了。做出模子的时候,一下子快速倒进去马上弄,做个2、3次之后,就已经达到极限。就想着“没有什么别的方法了吗?”……从那时起,就开始了连续多次悲惨的失败(笑)。
ソロライブが終わって、石膏まで終わって……で、樹脂の存在を知って。そこからフィギュア1期(※大野が作ったフィギュアには、型の種類と制作タイミングによって10種のモデルがある。彼はそのひとつひとつを“1期生”~“10期生”と呼んでいる)がはじまったの。2月ぐらい?2006年の2月に1期がはじまって、そこから映画(『黄色い涙』)の撮影に入る前まで。
个人演唱会结束后,我就连石膏一起说再见了……然后,我知道了树脂的存在。从那时起开始做人像模型1期(※大野所做的人像模型,根据模子的种类和制作时机来分,有10种模型。他将这一个一个模型称之为“1期生”~“10期生”)。大概是2月左右?2006年2月开始做1期,从那时起到进入电影(《黄色眼泪》)的拍摄为止。
3月に作ってた3期で、素晴らしいモデルが出来て(笑)。「おぉ~いいね、いいね!」みたいなノリで、3期の型でいっぱい作ってて。そこから100個作ろう!って4期をどんどん作って……そのエンジンがかかってきた頃に、撮影に入ってシャットアウトされちゃったから(笑)。「2ヵ月我慢かぁ……」って、なんかもぞがゆくて。待ち時間がいっぱいあったし、そこで寝るのとかヤダし。画家役だったから、何かを作ってる分には、余計、役には近いから。これがサーフィンとかだったら違うだろうけど(笑)。役と離れた人物になっちゃう気がするけど。
3月做出来的3期中,出现了非常棒的模型(笑)。凭借“哦~不错,不错!”这样的兴奋劲儿,我用3期的模子做了一大堆人像模型。从那时起决定“要做100个!”,于是不断地做出4期……那引擎才刚开起来的时候,一进入电影拍摄就被迫熄火了(笑)。“要忍2个月啊……”,好想做点什么。有很多等待拍摄的时间,我又讨厌在那儿睡觉。因为饰演的是画家的角色,所以做点什么的话,又会让自己更加接近角色。如果这时候做的是冲浪之类的就不对了(笑)。我觉得那会让我变成与角色相背离的人物。
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(编辑:杨帆)
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