是枝裕和表示对日本电影十分有危机感
沪江2016-12-08 16:53
「このままでは日本の映画は本当に終わってしまう」――そう強く訴えるのは『海街diary』など数々のヒット作を世に出し、2013年には『そして父になる』で第66回カンヌ国際映画祭コンペティション部門審査員賞受賞をした是枝裕和監督だ。今年は邦画のヒット作がいくつも生まれたにもかかわらず、日本映画界への危機感をあらわにする。
“这样下去的话日本的电影就真的完了”——如此强烈陈词的是创作了《海街日记》等数部大热作品、于2013年凭借《如父如子》获得第66届戛纳国际电影节评委会奖的导演·是枝裕和。尽管今年日本本土电影产生了几部大热作品,但是他还是显露出了对日本电影界的危机感。
ガラパゴス化する日本映画
加拉帕戈斯化的日本电影
注:加拉帕戈斯化,日本的商业用语,指在孤立的环境(日本市场)下,独自进行“最适化”,而丧失和区域外的互换性,面对来自外部(外国)适应性(泛用性)和生存能力(低价格)高的品种(制品・技术),最终陷入被淘汰的危险。
「日本の映画業界はどんどん閉じ始めている。海外で取材を受けた時、僕はそう答えるようにしています。良くも悪くも、日本映画は国内のマーケットだけで投資を回収できる可能性がある。なので、海外に出て行こうとする意欲が作り手にも配給会社にもありません。東宝、東映、松竹、角川など日本の大手の映画会社は特にそうです。
“日本的电影界在不断封闭。我在海外接受采访的时候也坚持这样回答。不论好坏,日本电影的投资有可能只能在日本国内的市场中回收。因此,无论是制作者还是配给公司都没有向海外发展的想法。特别是东宝、东映、松竹、角川等日本大型电影公司更是如此。
そうなると企画が国内で受けるものに特化してくる。この状況に強い危機感を感じます。海外に出て行くことがエライわけでもスゴイわけでもないけれど、40歳以下の若手映画監督の名前を海外で聞くことは、ほとんどありません。このままでは、日本映画自体が世界から忘れ去られてしまう」
这样的话企划就渐渐特殊化成了只在国内被接受的东西了。我对于这种状况感到强烈的危机感。虽然我不是觉得到海外去是多么伟大、多么厉害的事,但是基本上没有在海外听到过40岁以下的年轻电影导演的名字。再这样的话,日本电影自身将会被世界遗忘。”
欧米のみならずアジアでも興行収入ランクは、ハリウッド映画が上位を占めるのが常だが、日本だけは違う。邦画やアニメが年間のベスト10に入ってくる状況が続いている。こうした日本映画界の“ガラパゴス化”は、ユニークな現象だ。そんな中、今年は『シン·ゴジラ』、『君の名は。』といった邦画が大ヒットし、業界内でも話題となっている。『シン·ゴジラ』は興行収入80億円を超え、『君の名は。』も184.9億円、最終的には200億円近くまで延びる可能性も十分にあり得る。
电影票房收入不仅在欧美,在亚洲也通常是好莱坞的电影排在前面,但是只有日本不是。日本本土电影和动画进入全年前10的状况持续不断。这种日本电影界的“加拉帕戈斯化”是一个独特的现象。在这当中,今年的日本本土电影·《新·哥斯拉》、《你的名字。》大热,在业界也引发了话题。《新·哥斯拉》的票房收入超过了80亿日元,《你的名字。》也达到了184.9亿日元,最终十分可能增长到将近200亿日元。
「この2作品は、観ていますよ。周囲でも話題になっていましたからね。両作ともヒットの理由は、とても理解できます。とくに『君の名は。』は、当たる要素がてんこ盛りですからね。ちょっとてんこ盛りにし過ぎだろ、とは思いましたけど。この映画に限らず、女子高生とタイムスリップという題材からはそろそろ離れないといけないのではないか、と思います」
“这两个作品我都看了。因为在我周围也形成了话题。这两个作品火爆的理由我都非常理解。特别是《你的名字。》满满都是会变得大红大紫的要素。虽然我觉得这些要素是不是有点太多了。不只是这部电影,我想日本电影是不是必须脱离女高中生和穿越题材了呢。”
もちろん、映画がヒットすることは業界としても悪いことではない。是枝監督も、福山雅治主演の『そして父になる』が32億円という予想を上回るヒットとなったことで、その“価値”を経験済みである。
当然,电影大热这件事对于业界来说并不是坏事。是枝导演也通过福山雅治主演的《如父如子》这部票房32亿日元、超过预想大热的电影经历了其中的“价值”。
「『そして父になる』は、僕の従来持っていたキャパを超えた広がりをした作品でした。正直、そこまで観客が来てくれるとは思わなかった。そもそもヒットする要素を入れた作品じゃないし。出資者側は、福山雅治さんが主演だし10億円くらいの興行収入は目指していたと思います。僕は、それまで10億円を超える作品を1本も撮ったことはありませんでしたから、まったくそんなことは考えもしなかった。
“《如父如子》是我目前为止传播最广的一部作品。说实话,我没想到会有这么多观众来看我的电影。因为这部电影创作最初这也没有加入能大热的要素。对于出资人来说,这是福山雅治主演的电影,应该能达到10亿日元左右的票房。我则是因为在此之前没有拍摄过一部超越10亿日元票房的作品,所以完全没想过那样的事。
ただ、映画が公開されヒットした後は、町でおばちゃんから、“映画観たわよ! ”とか声をかけられたりもした。日本アカデミー賞にも呼ばれて、テレビに映ったりするとこんなに人々の認知度は変わるのかと思った。映画を観たという人から声をかけられるのは、単純に嬉しいですね」
但是,在电影上映大热之后,在街上会有阿姨和我搭话“我看了电影哦!”。我就想获得日本电影学院奖出现在电视上的话会这么大程度地改变人们的认知度吗。而对于被看了我的电影的人搭话,我单纯地感到很开心。”
映画監督は食えない職業
电影导演是个不好对付的职业
ただ、日本映画は国内だけでなく、もっと海外に目を向けるべきだと指摘する。「若手への支援とか、海外進出へのサポートがもっとあってしかるべきです。“クール·ジャパン”と言って、公的資金を使ってカンヌ映画祭で、くまモンと一緒に写真を撮っている場合ではない。それで日本の文化を海外に発信しているつもりになっているとしたら情けないことです。そのお金で若手の映画監督たち100人に、あの映画祭を経験させられますよ」
但是,他又指出日本电影应该不仅在日本国内发展,更应该把目光投向海外。“我们理应支援年轻有为的人,向海外发展的支持也应更多。而不是说着‘cool japan’,用公共资金让人在戛纳电影节上和熊本熊一起拍照的立场。如果打算以此来向海外宣传日本文化的话那就太令人遗憾了。用那些钱都可以让100位年轻电影导演体验这一电影节了。”
作れてもあと10本
也就还能再拍10部电影
映画界のこと、後進のことを考えるようになったのは、50歳を過ぎた頃からだという。その頃から、映画作りへの意識も変わった。
考虑到电影界的情况、新人不断涌出的情况,应该是是年过五十的时候。那个时候开始,对于制作电影的意识也开始发生改变。
「30代の時は、映画が撮れること、それだけで嬉しかった。40歳頃に撮ったのが、『誰も知らない』(2004年)という作品だったのですが、これはデビュー作として撮りたかったストーリーだったんです。それが撮れたことで、やっと映画監督になれた気がした。『歩いても 歩いても』(2008年)という作品が完成したときに、ああ、これで映画監督を続けて行けるなと思った。『そして父になる』は、自分が父親になったことで、感じたものを作品に投影しています。『そして父になる』と『海街diary』という僕にとっては少しサイズ感が大きい作品を立て続けに撮って、もう一度、自分の適正サイズに戻ってみようと思って撮ったのが、『海よりもまだ深く』なんです」
“30多岁的时候,只要能够拍电影就已经很开心了。40岁的时候拍摄《无人知晓》(2004年)这部作品,这是想要作为出道作品拍摄的故事情节。因为能够拍摄这部作品,才终于有了能够成为电影导演的感觉。《步履不停》(2008年)这部作品完成的时候,感到了‘啊,继续做电影导演是可行的。’《如父如子》则是投射了我做了父亲之后的自己的感受。不断地拍摄像《如父如子》和《海街日记》这种对于我来说制作规模有点大的作品,再一次想着要回归到适合我的程度而拍摄的是《比海更深》。”
「現在54歳で、これから2年ごとに作品を撮ることができたとしても、20年で10本しか撮れない。そう思うと、目の前のことで忙しくしているだけでキャリアが終わってしまうのではないかという不安も感じます。撮りたいものがすべて撮れているわけではない。これからの10年をどういう風に映画監督として過ごすのか、その大切さを感じ始めているところです」
“现在我54岁,从现在开始就算能够每2年拍摄一部作品,20年也只能拍摄10部作品。这样想的话,就感到‘只是因为眼前的事情而忙碌着,职业生涯不是要终结了吗’这样的不安。也不是要把想要拍摄的东西全都拍了。而是开始感到‘从今以后10年,究竟作为电影导演要以什么风格度过呢’这个问题的重要性。”
(实习编辑:杨月)
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